青学新聞とは

青山学院大学新聞(青学新聞)概要

青山学院大学新聞(青学新聞)は、学友会活動の情宣のために1981年に設立された学内唯一の公認邦字新聞です。青山学院大学に所属する学部生、院生、教職員や、OB・OGなどの活動を主に報じています。青山学院大学新聞編集委員会に所属する学生が、企画、レイアウト、取材、校正まで、独自に行っています。

​​​本サイト、青学新聞電子版は、青山キャンパス、相模原キャンパスに行かなくても、青学新聞の情報を受け取っていただけるよう青学新聞メディアラボ(AML)が製作したものです。記事は発行済の紙版を再編集したもののほか、電子版独自の情報も用意しています。紙版と同様、製作・運営は学生のみで行っています。ぜひお読みください。

青学新聞小史

◇青山学院(大学)新聞編集局 

 戦後間もない 1946 年頃より、『青山学院新聞』が発行され始めた。これは「紙を媒体として学生間のコミュニケーションを図る」目的で、学院本部主導となり学生(当時、専門学校生)を集めて作っていた。内容は現在より規模は大きく「学院全体の出来事」。資金は学院が出し、学院各所やPTAへの販売をしていた。発行は当時貴重だった紙が校友から手に入り次第発行する程度のものだった。1949 年、大学制となってからは活動団体を大学に移し、『青山学院大学新聞』編集局として活動を継続した。しかし、学生闘争が激化。70 年安保時は青山学院でも学生が立てこもり、警視庁機動隊が突入する騒動となった。大学側もこのことを重くとらえ、学友会活動のすべてを停止。27 年間の新聞の歴史も途絶え、1975 年に最後の卒業生を送り出した。 

◇学友会復活と第 1 号の発行 

それまで活動を休止していた本学学友会が1981年4 月に復活。活動の活性化の一環で学友会新聞として「青山学院大学新聞」が誕生した。70 年代の学生運動の中、学内批判・ 政治的な新聞を発行していた団体との差別化を図るため、新たに発足した新聞編集委員会

(当時は広報編集委員会)は学内公認。学生部の検閲が入るものの学生部活動の一団体と して 1982年4月30日に第1号が発行された。

「緑ヶ丘」は第2号から連載が始まっている。翌年には現在の新聞編集委員会に名称が 変更(第5号から)。同年10月には号外の第1 号が発行された。

◇急速な発展と改革 

80年代前半は年4~5回の発行を不定期に行っていた。その中で「コーヒータイム(現 珈琲待夢)」、「キャンパスの華」が生まれた。80年代後半に入ると、編集・発行作業も軌道に乗り、87年には厚木キャンパスに部室を確保。年6回の定期発行にも踏みきった。そして 88年4月(第 22 号)より、編集委員の圧倒的多数の賛成を得て月刊化に移行する。

しかし、学友会からの予算は従来通りであったため、深刻な資金不足に直面。委員は資金集めに奔走することとなった。当時の委員長は予算援助を求め学校と交渉。一時は「実績がない」とはねつけられたが、当時の顧問教諭の多大な協力と委員の努力で月刊化を確固たるものにした。

◇節目の 100 号発行 

90 年代に入ると仕事量の増加に伴い、カメラなどの備品を補充。また、1月号に行う名刺広告も開始。50 号に到達した91年12月には経済的理由やOBが勤めていた縁から、印刷所をみずほ印刷から鉄鋼新聞社に依頼するようになった。93年には写真部門の強化、号外のレベルアップを目指してカメラの望遠レンズ、ワープロを補充した。

翌94年には当委員会の立場が「付属委員会」から、現在の「直属委員会」へ。それに伴い、活動の責任は増した。95年には新しいリソグラフを購入、号外の充実を目指した。96年にはついに100号を迎え、野球部最盛期でスポーツ特別号外、ドラフト号外を発行した。また、印刷所も住宅印刷に変更した。

97年には印刷所が新和印刷へ移る。学友会からの予算も上がり、ワープロを補充。また 創刊号から 100 号までの縮刷版も発行された。98 年からは時代の流れにあわせ、パソコンを購入。イラストレーターなどのソフトウェアが号外作成やその他の編集作業において大きな役割を果たした。99 年には学友会予算の最大上げ幅を記録。野球部の復活・日本一による野球日本一号外も発行された。

◇21 世紀の青学新聞 

世紀は変わり、2001 年、青学新聞は第 150 号を発行し、大々的に記念特集を組んだ。翌 2002 年は20年目を迎え、初代ホームページなどを立ち上げた。印刷所は生産経済新聞社に変更。2003年には厚木・世田谷キャンパスが撤退し、相模原キャンパスへと移行が完了。それに伴い、通常の6面が「厚木・世田谷版」か ら「相模原版」へ名称を変えた。また、新型リソグラフも購入した。2004年には101号から150号までをまとめた縮刷版を発行した。2005年にはデジタル一眼レフカメラを導入。フォトショップなどのソフトも有効に活用し、スポーツ写真をはじめ、紙面全体のビジュアル面の向上が見られた。

2006年には記念すべき200号が発行され、またスポーツ号外1000号記念の特別号外も 発行された。それにともない、151号から200号までをまとめた縮刷版が発行された。2007年、ホームページの新設(当時)や中吊り広告(ポップ)の設置、「写真ニュース」の掲示など、より多くの本学生に読まれる新聞を目指した新たな試みを実施、また老朽化したリソグラフを大学から資金を得て更新した。デジタルカメラは 2 台体制とし、写真撮影の主力となる。また内部規約をまとめた。

2008年には、4月号で初の表紙カラーを導入(4、9月号にて実施)、10月の箱根駅伝本戦出場決定に際し、フルカラー号外を作成。また新型パソコンとプリンターを購入し、PC2台体制。関東学生新聞連盟を本学が主導で組織した。

2009年には、データ入稿をデジタル化すべく、インデザインを導入(試作段階)、反省会資料のデータ・共有化を図る。また、箱根駅伝本戦(33年ぶり)取材に際して当会・第一部卒業アルバム委員会・青山スポーツの3団体(当時名称「学生報道 3 団体」)をまとめる。大学・学院広報部より、ニュースリリースを発信の協定を結ぶ。

顧問が江泉教授から黒沼教授に代わる。 2010年には、印刷所を現在もお世話になっている「きかんし」に変更(杉原領編集長)。 またインデザインの本格運用化を推進。

2011年には、通算250号を達成し、縮冊版を発行。またボイスレコーダー2台を購入したほか、カメラを新たに3台購入し、5台体制になる。東日本大震災の取材を敢行。ブログの運用スタート 。

2012年にはツイッターの運用スタート。ホームページ(当時)のリニューアルも行われる。カメラを新たに一台購入。4月号にて青学新聞初の 1、3、6、7、10、12面 のカラー発行が成される。また、この年男子バスケットボール部が2年連続4冠達成した ことにより号外1015号が発行される。

2013年には、人員増加のため Adobe CS6 を新規導入。Yahoobox の 廃止。Web担当の正式設置。関東学生新聞連盟の活動を本格的に再開。 また、2013年度から就学キャンパス移転により、教養課程と専門課程とを2キャンパス に分離していた教育課程が、キャンパスごとで学部教育課程を完結させる4年一貫制へと変更された。

2014 年には Adobe を CS4 から CS6 への移行のため PC2台、Adobe CS6 を購入。カメラも 1台新規購入の他、プリンターも故障により買い換える。広報局設置。 2015年には Adobe をCS6へ完全移行し、PC3台を追加購入。また、陸上競技部長距離ブロックが第91回箱根駅伝で初優勝を果たしたため、号外1017号を発行した。さらに新たなリソグラフを設置・導入する。2016年1月、陸上競技部長距離ブロックが第92回箱根駅伝で二連覇を果たしたため号 外1018号を発行した。また1月15日発行号にて通算300号を達成した。同年の4月1日発行号にて300号記念特集を掲載する。

2017年1月、陸上競技部長距離ブロックが第93回箱根駅伝で三連覇(大学駅伝三冠) を果たしたため号外1019号を発行。PC3 台を新規購入。新しく副財務局長を設置した。GoogleDrive の導入を開始した。

2017年1月、陸上競技部長距離ブロックが第94回箱根駅伝で四連覇を果たしたため号外1020号を発行。PC1台を新規購入。

委員会基礎データ

=青山学院大学新聞= 2021

  • 団体名:青山学院大学 学友会 新聞編集委員会
  • 創刊:1982 年(旧紙創刊は1946 年)
  • 所在地(本部):150-8366 東京都渋谷区渋谷 4-4-25 7号館 230 号室
  • TEL&FAX:03-3498-4847
  • 型:タブロイド版
  • 発行:月刊(2、8 月を除く)
  • 部数:3000 ~10000 /月
  • 発行数:352回(2021年7月1日現在)

青学新聞電子版

製作 青山学院大学新聞編集委員会     

製作責任者
 
青学新聞メディアラボ(AML)主席研究員   
               谷本 皓哉  

校閲部長           木村 馨

運営 青山学院大学新聞編集委員会  

  • 電子版編集部 
  • デジタル企画営業部 
  • 校閲部 
  • 青学新聞メディアラボ(AML)

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