わかあゆ 349号

 二年前の今日は、少し肌寒く、それでいて春の匂いが鼻をかすめる、そんな日だった。桜が舞う校門前には、写真撮影の列ができていた。カメラを向けられた新入生は、皆笑顔で輝いて見えた。

 かく言う私も、フレッシュな新入生の一員として門をくぐっていた。周りの新入生たちは何故かすでに友人がいて、一人なのは私だけだと錯覚した。最初が肝心だからと自分に言い聞かせ、受験結果への苦い思いは胸の深いところに押し込んで、友達作りに励まねばと意気込んだ。

 結局誰とも言葉を交わすことはなく、講堂に足を踏み入れた。途端、前に倣って席を詰めて座るよう誘導された。待って、まだ心の準備ができてない。心が叫ぶのと同時に、体が会場の外へ出向いていた。

 気持ちを落ち着かせ、頭の中で何度も練習する。席についたら隣の子に話しかけよう。

 運が良かったのだと思う。私が話しかけた子は明るくて、式が始まる頃には周りの子と談笑していた。讃美歌なんか歌えないよね、なんて笑い合った記憶がある。これからの学生生活に希望の光が差し込んだ瞬間であった。

 けれども、一つ不安が消えたとてそれが全てではない。仕舞い込んだはずの苦い思いが、少し顔を覗かせていた。

 ヨハネによる福音書15章16節より。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」これは、宗教部長からの祝辞の引用である。各々の思いがあっても、神様が青山学院大学へあなたを導いたとおっしゃっていた。ならば、苦い思いにこだわるより、神様と、このご縁を信じてみようと心に決めた。

 新歓のビラを一枚ももらえなくても、こうして居場所がある。入学式で話しかけたあの子は今も一番の親友だ。ほんの少し先に入学した青学生から新入生の皆さんへ、思い出話と共に、お祝いの気持ちを込めて。(鳥)

関連記事

ページ上部へ戻る