明治17年、上野・池の橋で創業を開始。第二次世界大戦で空襲に遭い、戦後昭和24年、現在の銀座6丁目並木通り沿いに店を構えることとなる、老舗和菓子屋「空也」。今回、5代目当主である山口彦之さんに話を聞いた。
「空也」といえば、「空也もなか」を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。創業当時から商品としてあったかどうか定かではないそうだが、夏目漱石を代表とする明治の文豪たちの小説の中に登場していたことから、古くから多くの人に愛されていたことが伺える。そして、最中に欠かせないあんこについては、「すごい特別な、秘伝のレシピがあるわけではない。私以前の4代では、製造に携わっておらず、基本的には経営を中心にずっとやってきた」と語り、製造については、「素人というのをよしとして、良い材料を仕入れ、丁寧に職人に仕事をしてもらえば、おいしいものはできるのではないか、というのが、私たちの物づくりの考え方の根本になっている」と話した。
また、最中といえば、あんこ以外にも皮の部分も欠かせない。ちなみに、最中の皮を和菓子業界では“種”と呼ぶそうだ。そして、種を作る専門の業者がいて、そこから種を仕入れるという形が一般的なのだという。「和菓子業界は、古くから分業制が敷かれている。『餅屋は餅屋』ということわざはまさにこの業界の言葉」だそうで、また、「空也もなか」の種は「種萬」という日本橋にある最中種専門のお店で作られており、なんと一家は本学出身とのことであった。
最後に、「空也もなか」が愛され続けるゆえんについて、「時代に逆行しているというか、非常にアナログな店だと思っている。ホームページがなかったり、商品の予約も直接お店に来て頂くか、電話でご予約頂くかの2つの方法しか取っていない。また、直接箱に商品が入っているので、非常に壊れやすく、宅急便での配送も受け付けていない。お店でのお会計も現金のみ」と話し、「1日の生産量も従業員が就業時間内でしっかり働くことのできる量に設定しているので、手に入りづらい商品になってきている。意図していないところでブランディングが進んだというのが本当のところだと思っている」とも語った。本学とも縁のある「空也もなか」。銀座まで足を伸ばし、その味を堪能してみるのはどうだろうか。