
「日曜日にわざわざ学校に来るなんて勉強熱心な皆さんで」と微笑む加藤シゲアキさん(09年・法卒)。青山学院創立150周年を記念して、青山学院と活字文化公開講座が在校生向けに主催した「活字文化公開講座」が5月26日に開催された。第一部は新設されたマクレイ記念館で、第二部はガウチャー記念礼拝堂で行われ、休日にもかかわらず多くの学生が集まった。
加藤さんはタレントとして活動しながら作家としても活躍し、昨年発売された『なれのはて』は、前作から二作連続で直木賞にノミネートされた。講演会では作家として、また、中等部から青学で過ごした先輩として、学生に向けて様々なメッセージを送った。
小説を書き始めたきっかけとして、高等部時代の授業の思い出を挙げた加藤さん。元々国語は苦手な教科で、それを克服しようと受講した選択授業の「国語表現」が、文章を書く楽しさを知る契機になったという。「鬼ごっこについて原稿用紙2枚で説明する」など毎週課題が出され、書いた文章を匿名で読み合い、クラスで良かったものに投票する。自由な形式の授業に手を抜くクラスメイトもいたが「つまらないことをつまらなくやるのは苦手。どうせやるなら楽しくやりたい」と、毎週先生を笑わせる気持ちで、真剣に面白おかしく課題の文章を書いたそうだ。自分が書いた文章がクラスで上位に選ばれたり、先生から毎週花丸をもらったりする中で、文章を書く楽しさに気付き、自信を持てるようになったと話す。
その後開設したブログも好評で、徐々に文章を書くことが仕事に繋がった。昔からものづくりに興味があり、その中でも自分に向いていると感じた「書く」ことで、「25歳までに小説を書いてみたい」というぼんやりとした目標を抱いた。周囲からの助言もあり、加藤さんは本学を卒業してわずか10カ月後に初作『ピンクとグレー』を発売した。当時のことを振り返り、「23歳の春は人生でそう訪れることのない、本気を出さなければいけないときだと感じた」という。
1作目で執筆を辞める作家も多い中で、加藤さんは現在7作の小説を発売している。『ピンクとグレー』を発売した際の書店回りで、書店の人に言われた言葉が印象に残っているそうだ。「今加藤さんの本が置いてあるこのスペースも、時間が経てば他の人の本を置く場所になってしまう。しかし、書き続ければ、加藤さんの本を置き続けられるし、作家としての加藤さんのことを応援し続けることができる」と話す書店員に心を動かされた。また、このときには2作目の構想を自然と考え始めていたという。「これ以上ない、書き尽くしたと思える本を書くと、その先が見える。小説という分野において、限界はない」と加藤さんは話した。

最新作『なれのはて』は秋田県を舞台に、土崎空襲や秋田県で産出される石油について、多くの専門知識を交えながら当時の人々の心情、またその土地で生まれ育ってきた人々の生き様を描いている。自身も30代半ばに差し掛かり、また、前作『オルタネート』が直木賞にノミネートされたことから、作家としての影響力や責任について考えるようになったそうだ。「自分が書いていて楽しいことだけでなく、社会についても描く。戦争や社会問題について無理して書く必要もないが、避ける必要もない」と話した。加藤さんは広島県に生まれ、戦争に関連する番組に出演する機会もあったという。「戦争の体験者がいなくなっていく中で、自分が直接話を聞いたことを伝えないのは無責任」だとも感じたそうだ。しかし、広島の戦争に関する作品は既に多くの作家が手掛けている。「自分が書く意味があると思うものを書きたい。自分自身も作品を書く中で知りたい。調べたい」という思いから、母の出身地である秋田県に目を向け、今回の作品のテーマを決めたそうだ。「どうせやるなら自分も楽しく、意味のあるものに」という意識は、高等部時代の授業に向き合う姿勢とも通ずるように感じられる。
「日本中で戦争があったはずなのにまだ知らないことが多くある」と加藤さんは語った。日本最後の空襲の1つであった土崎空襲。「『あと1日早く降伏していれば』という思いが、その土地の人々にはあったのではないかと想像した。また、石油の産出地であることからこの地域が狙われたという背景もある」。国への恨み、石油への恨み、入り組んだ感情が『なれのはて』では繊細に描かれている。
「小説の中には自身の経験も交えているのか」という質問に対し、加藤さんは「意図して自分の経験を入れたことはない」と答える。しかし「小説を書いているうちに勝手に自分の中の引き出しが開く。あのときの気持ちが蘇る」と執筆しているときの心境を語った。尊敬している作家だという伊集院静さんの「35歳までは旅に行け」という言葉を大切にしているそうで「本を沢山読むことよりも、あらゆる経験をすることが、作家としてだけでなく、社会に出てからのコミュニケーションにも大切」だと話す。「ものを作る出力や技術は年を重ねるごとに上がっていくが、若い時だけのエネルギーや自由な感性もある。今しかできない経験を大切にしてほしい」と学生に向けてもメッセージを送った。
タレントと作家、2つの顔を持ち、どちらの世界でも広く活躍している加藤さん。その両立には並々ならぬ努力や苦労が潜んでいるように思えるが、加藤さんは「両立しているという意識ではない」と話す。「タレントとしての仕事はチームプレーで、たくさんの人やものとの出会いがある。それに対して、執筆はどこまでも孤独な作業で、編集者の力を借りることはあっても、作業をするのは常に一人。どちらもあるからこそ心のバランスが保てている」と語った。
本学で過ごした10年間を振り返り、「青学」の印象について「自由」だったと話す加藤さん。中等部時代から芸能活動をしており「芸能活動と学業の両立を認める学校は当時珍しかった」と振り返る。一方で、芸能活動をしているからといって特別扱いをされるわけではなく「自由だけど自分の行動の責任は自分で持つ」という校風が過ごしやすかったとも話した。同級生とは今でも会うことがあり、風通しの良い関係が好きで、また、同級生の活躍には学生時代から良い刺激を受けているそうだ。
加藤さんは青学で学ぶ学生に向けて「つらい経験は誰にでも必ずある。しかし、挑戦し続けたその先に成功があるとつらい経験も愛することができる。どんな経験も肥やしになるから、臆病にならず、思い詰めず、自分から逃げずに。行動力を大切に過ごしてほしい」と温かく力強いメッセージを送った。
止まることのない加藤さんの活躍の裏には、何事も楽しもうという心と何にでも挑戦する行動力がある。行動し、それを継続することの豊かさを、身をもって証明し続ける。10年の時を青学で学んだ加藤さんの言葉は、今この場所で学ぶ学生の心にも、深く響いただろう。
